どうも、若ハゲ番長です。
離婚しました。
いや、離婚してました、が正確か。
いやいや、実を言うと、「結婚しました」の報告をした時点で、まだ婚約しかしてなくて、そこから全然結婚の準備は進まず、うやむやになったままで、正式に結婚してませんでした。
役所に婚姻届だしてません。
だから、離婚ですらないです。
単に別れただけ。
でも、何年も一緒に生きてきたパートナーがいなくなるっていうのは、僕の感覚としては離婚と言う方がしっくりくるので、ここは離婚という表現で行きましょう。
※この文章は、純粋に自分のために書いています。
書きたいから書いているだけです。
言いたいことを言ってるだけです。
吐き出したいものをゲロっているだけです。
よって何の役にも立ちません。
それでも読みたい方はどうぞ。
実は、去年の年末くらいに離婚してました。
裏では報告してたので、知ってる方もいると思いますが、表では離婚の「り」の字も出してませんでした。
報告せねばと思いながら、結局、気が進まず・・・
いやまぁ、そりゃあ、気は進まないだろうよ、って感じなんですが・・・
最近、ようやく、文章にできるくらいに自分の中で整理ができたので、重い筆を上げたところです。
ほんと、筆がね。
いい筋トレになりそうなくらい重いです。
結局、
詳しい理由は書けないけど、
一言で言ってしまえば、
そういう運命だったと
言う他ない。
むしろ、それ以上の説明はすべてウソが入ってしまう。
言葉にすれば、うそうそうそ。
嘘だらけ。
すべての流れが、あらゆる出来事が、何もかもが、分かれる方向に作用して、抗うことができなかった。
「偶然」というには出来すぎているでしょう。
だから、運命だったと。
多分、どっちも悪いし、どっちも悪くない
だから、そういう運命だったと。
それ以上の説明は要らない。
むしろ、してはいけない。
語り得ぬことについては沈黙しておこうと。
裏では報告していたとおり、恋愛活動も年明けくらいからいろいろやってました。
でも、それはわりと勢いだったというか、何かをごまかそうと必死だったというか、
一種のヤケッパチだったと。
そういえば、自分でも「やけっぱち」だと言ってたな(笑)
吹っ切れたつもりでいたのは、頭で考えている自分だけで、内心、1ミリも吹っ切れてなかった
吹っ切れたふりをして、必死に自分を騙そうとしてた、半年間だったなと。
まさか半年も、自分をごまかしていることに気づきすらしないとは。
それだけ、大きな出来事だったと言うことなんでしょう。
多分、番長の更新頻度がやけに上がったのもヤケッパチの一種です(笑)
特に、4月くらいから、もはやごまかしがきかなくなって、
恋愛活動も当初の予想に反して、全く、びっくりするくらい、うまく行かず。
うまくいかない理由が自分では全然わからなかったんだけど、師匠から
「え?なんで、それ、行かなかったの?」
と言われて、ハッとした。
女性といい感じになりそうになると、自分の方から逃げてしまう。
女性から好意を向けられるのが怖い。
だから、行かなかった。
自分の方から全力でブレーキを踏んでるんだから、そりゃあ、うまくいかないのは当然でしょうよ。
恋愛がうまくいかない理由。
必死にそれを考えてて、ようやく、気づいた。
あ、そうか。
全然、離婚のショックから立ち直れてないだけか。
「ショックなんてなかった」というつもりでいたけど。
実は尋常じゃないくらいショック受けてて、そこから目をそらして、必死に平気なフリしてただけ。
痛みと向き合うのが怖くて、単に逃げてただけなんだと。
それに気づけたのが5月くらい。
で、ようやく最近、結論にたどり着きました。
死ぬまで彼女を愛そう
と。
これは別に「愛は永遠なんだ」みたいなかっこいい話ではなく、
自分が生きていくためにはそうする以外になかった
というとても消極的な理由でそうなってるだけです。
他にもいろいろ試してみた結果、それ以外に方法がなかったっていう。
消去法で残った答えがそれだったというだけ。
だって、無理じゃない
忘れろって言われたって。
彼女を忘れることは、自分自身の半分を否定すること。
別れた直後、
「半身を失ったような感覚」
という言葉を使ったけど、これが本当にそのとおりだったんだなと。
失った直後は気づいていた。
一緒にいた時間は長すぎて、
もはや彼女が自分の半分になっていたんだと。
でも、「何がなんでも前を向かなきゃ」という謎のポジティブシンキングにかき消されて、気づいていたはずの真実が見えなくなっていた。
もはや、彼女は自分の一部なのだから、彼女を忘れようとする行為は、そのまま自己を否定する行為なんだと。
離婚ショックから立ち直れてないんだと気づいてから、相談した人には言われた。
「彼女を思い出すようなものは、全部捨てなさい」と。
確かに、モノレベルで思い出の詰まったものはいっぱいあるし、今も家に残ってる。
だから、人に相談すると、彼女を思い出してしまうようなものは全部捨てろという理屈はわかる。
でもね。
モノなんて本当に表面的なものでしかなくて、
もっと根源的なレベルで彼女と僕は分離不可能な状態になっている。
モノを捨てれば忘れられるなんて、単純なものじゃない。
自分自身の思考パターンだったり、言い回しだったり、価値観だったり、
もはや無意識レベルで彼女は僕の中に入り込んでいる。
それを否定なんて、できるわけがないでしょう。
どんなにボケたって自分自身は忘れられない
彼女はもはや僕という人間の半分を構成してる。
だから、忘れられるわけがない。
忘れられないのなら、一生抱えて生きていく以外にない。
そうか、死ぬまで彼女を愛せばいいんだ、と。
この結論にたどり着くまで、かれこれ半年もかかりました
いや、だからなんだって話なんですけど、
結婚の報告もブログでしたし、離婚の報告もしておくべきだろうと。
むしろ、書かずにはいられなくなって、僕が書いているだけなんですが。。。
とりあえず、まだ生きている人は、大切なひとに「愛している」と言っておいてください。
なんなら、毎日、おはようと一緒にいいましょう。
「愛している」と。
嘘でもいいです。
嘘でも言い続ければ真実になります。
言えずに後悔するくらいなら、嘘でもいいから言っておいた方がいいです。
結婚を決めた時点で、確信があったはず。
愛は変わらないと。
人間はそんな大事なことすら忘れてしまう、
おバカな生き物。
でも、忘れていただけで、愛は消えてなくなったりはしない。
もし、決定的な亀裂が入る前に、それを思い出していたら、と思わないことはないけど、というかまだいっつも思うけど。
それはもう過ぎたことだから。
ああ、やっと自分のやりたいこと、やりたかったことがハッキリした。
愛したかったんだ。
愛を伝えたかったんだ。
これで、やっと前に進める。
傷つき、傷つけ、ドロドロになって、血まみれになって、前に進む以外に道はないんだ。
迷い続けろ。
割り切ろうとするな。
絶望を抱えたまま生きろ。
それが人生だ。
頑張れ。
人ごとに思えなかった。
私もおんなじ状況だけど頑張る。
今の番長には響かないだろうけど、女なんて星の数ほどいる。
たくさんの愛、たくさんの形がある。
これだ!と決める必要なんて全くないし、必然的に変わっていくもの。
そして人生は、いかなる場合もバラ色である。
挨拶。とても簡単て、尚かつお互いの感情もたった一言だけでも分かり合える、とても大事なことですね。
家庭でも社会においても、重要なツールであると思います。
54才 離婚三年目(笑)
苦しいですね
自分が思い描いたように行動したらいいと思います。
迷わずに!
で?結局どうされたいのですか?
好きという感情を持ち続けながら
次に進むということでよろしいのでしょうか?
結論
その人と過ごした日々は無くならない。
その人との日々を思いながら明日に生きる。
その人への愛を持ちながら違う人との愛が始まる。
忘れる必要はない。
わかる気がするわ。
あんた、悪気の無い純粋な
子供みたいな感じで凄く残酷なこと言ったりするからな。
自分ではわかってないだろ?
彼女が別れる結団したのその辺やと思うよ。
アスペの毛もあるような気がするわ。
★番長さんのお陰で育毛できたアラ50です。
★私は番長さんに物凄く感謝しています。
★ミノタプと最強朝食は私を若返らせてくれました。
★そして、何よりも、その道のプロにお金を払ってノウハウを学ぶことが人生を充実させるということを学びました。
★私も、人生色々とあったし、今も決して順調とは言えないかも知れません。
★しかし、自己の目標(仕事、お金、精神、住居など)は定めつつ、決して失ったものに執着せず、自然体で、生きていくことで、随分と楽に生きていけるようになりました。
★長い人生、登り坂、下り坂、まさか、と色々ありますが、自然体で頑張ってください。
★人生、山あり、谷あり。
★私(アラ50のおっさん)も、昔も今も、思い通りにいかない人生に悩んでいます。
★だけど、それも人生。自然体で明るく生きていきましょう。
落ちることも必要だよね、きっちりと
半端だと膨大な時間を浪費してしまうから
底にたどり着けば立つことができるよ
立つことができれば見上げることもできる
お気持ちすごくよくわかります。
正直、死ぬまで忘れないですよ。
それは確か。
でも、薄らいでいくんですよね。
他の現象や記憶をうんと経験して
うすーーーくするしかないのです。
そうしたら、少し楽になると思います。
それは先のことかもしれませんが、
とにかく今は圧倒的な情報量を経験してください。
心を亡くす、と書いて忙しいといいます。
忙しくなきゃ、人間患ってしまう。
これが僕の持論です。
良かったら参考にしてください。
私も最近大きな決断をして、生活が激変しました。
その決断で大きな苦しみから逃れられる、と思っていました。
確かに逃れることはできましたが、その苦しみの中にも私の存在価値(大げさですが ^_^ )の結構大部分を占めていたものがあり、今、絶賛路頭に迷っています。
様々な要素も絡んでいましたが、少し楽になるかなと思い、踏み切った一歩は新たな悩み苦しみへの第一歩でした。
番長さんのサクセスストーリー?なこのブログは、いま私にとって大きなこころの支えの一つになっています。
これからも更新楽しみにしています。
番長さんのブログを拝見しはじめてから、2年ほどになります。初めてコメントさせていただきます。
私も11年前にとても辛い失恋を経験しました。
なんの目標もなく、人生に希望を抱けなかった私にとって、その人は生まれて初めて見つけた『生きる希望』そのものでした。
その人を失った時の喪失感は今でも忘れることができません。番長さんの仰る通り、『半身を失った』ような喪失感でした。
必死で忘れようとしました。思い出の品を全て捨て、必死で相手を怨み、愛情を憎しみに変えて自分を守ろうと。
しかし何年経っても、自分の中でその喪失感を埋める事はできませんでした。
どうして忘れられないんだろう、消せないんだろうともがき苦しんだ末、忘れる必要なんてない、という結論に辿り着きました。愛し続けようと。
別れた相手を愛し続けるのは、他人から見たら不幸かもしれない。でも私はそうは思いません。むしろ、1人の人を死ぬまで愛し続けられる事は幸せな事だとすら思います。
別れてから11年、今もなお彼女を愛し続けています。他人は寂しい生き方だと言うだろう、でも決して不幸な生き方ではない。寂しいと不幸はイコールではない。私は心からそう思っています。
長文失礼しました。暑くなってきたので体調に気をつけてお過ごしください。
ブログ更新、毎回楽しませて頂いております。
そうだったんですね…
びっくりしましたが、僕は番長さんの味方です!
感謝しているからです。
はじめまして。
AGA関連を読んでいて、この記事にたどり着きました。
お昼を食べながら読んでいました。
涙がこぼれてきました。
普通ならハゲましたりする場面なんでしょうけど、共鳴(共感)するだけで失礼します。
自分は薄毛に悩み、ミノキシジルだけを飲み始めて1か月の理系卒の50歳。
これからも時々こちらのブログで勉強させて下さい。
僕も、最初の彼女から最近の彼女まで、本当に愛したし忘れる事なんて出来ません。
それでも会えなくなるのだから、最早愛する人の一部を自らの血肉として、自分の中にいる愛する人と共に生きていく事にしています。
時に良かった事も悪かった事も思い出し、苦しみますがそれでいいと思います。
無理に忘れる必要なんてない。
確かに愛した人を忘れるなんて不自然です。
カッコ悪く引きずって生きていてもいいと自分自身には思います。
ただそれは、自分の中に慎重に留めておくべきですね。
愛すべき人にまた出会うために。
再びお互いの事を深く知り合う過程に恵まれた時、その心に留めた思いを伝える機会に恵まれるかも知れません。
それは幸せな事だし、そういうものを目指して生きていきたいです。
ご精読ありがとうございました。